宮沢賢治『やまなし』クラムボンの正体を調べるために (史料と記載一覧)

※本記事はクラムボンの正体について考察する文章ではなく、宮沢賢治が遺した『やまなし』に関する現在参照可能な史料とその中における記載を簡潔にまとめたものです。

(こちらでは勝手な解釈を行わず、『やまなし』の作品そのものやクラムボン含め作中の描写について調べるうえで重要な史料を参照しやすいように列挙した調べ物用の情報です。)

一般人の私のようにこの素朴な疑問が気になって調べたくなった方々に向けた調べ物メモになります。

クラムボンの正体が気になって…

小学校の国語の授業で取り上げられた宮沢賢治の作品『やまなし』の文中に出てきた「クラムボン」について、結局その正体が何なのか気になって改めて調べることに。

個人的には「クラムボンをどう解釈したら作品をより楽しめるか」とは別に「実際に作者(宮沢賢治)はクラムボンを何のつもりで作中に記したのか」という史実が気になっていたのですが、軽く検索しただけでは出てくるのが解釈や説ばかりで現時点で実際にどこまで正体が判明しているのか不明でした。

宮沢賢治であれば作品の原稿やメモ書きなどが研究用に保存されているのではと思い確認した結果、『やまなし』には発表された完成形より前の草稿段階の下書き用紙が現存していました

しかもありがたいことに、研究者の方々が宮沢賢治の作品や原稿/ノート/書簡などを原文のままテキスト化してまとめ上げた『新校本宮澤賢治全集』のおかげで誰でもその内容を参照できます。

下書きの原稿用紙の端にクラムボンについてのメモ書きや注釈などが残っていることを期待して、新校本宮澤賢治全集が置いてある図書館に向かいました。

 

結論から言うと残念ながらクラムボンの正体について、草稿にそれを直接記した文やメモ書き・注釈などはありませんでした。
(もし簡単にそれが見つかるならそもそもこんなに解釈論が沢山出てきているはずが無いので薄々勘付いてはいましたが…)

ただ、クラムボンに関して発表版にはない記載や描写があったので、今回それらをまとめています。

(ついでに文中に出てきた不明な地名「イサド」や、「やまなし (山梨)」の語そのものについても史料メモを追記。)

参照資料について

今回は主に『新校本宮澤賢治全集』を参照しましたが、同じ資料を参照する方々のために何ページ目を参照したか (どのページにどのような記載があるのか) を明記しています。

(この資料、全十六巻+別巻構成で各巻が本文篇と校異篇の別冊セット (しかも十三巻と十六巻は上下あり)、計38冊にもなるので…)

地理的に図書館の現地利用が難しい場合に遠隔複写サービスを利用する際も、こちらで記載している参照ページを確認して申し込み時に入力すればスムーズだと思います。

そもそも図書館が利用できない方向けに、ネットで直接閲覧できる草稿本文や原稿用紙画像も見つけた物にリンクを張っています

 

『やまなし』の現存史料 (資料)

※手元に本がなくても、『やまなし』は青空文庫で公開されているのでWebで閲覧できます。参照用にどうぞ。

リンク:『やまなし』宮沢賢治 - 青空文庫

 

新校本宮澤賢治全集について

新校本宮澤賢治全集』は、研究者らが宮沢賢治の発表作品やその原稿、その他宮沢賢治が残したノート・メモ・手帳・書簡などありとあらゆる史料を収集し、徹底した原文尊重原則の下でテキスト化して収録した作品全集です。

『やまなし』含め作品の中には推敲前の原稿が現存している場合がありますが、推敲の最終結果のみならず取り消し線で消した部分や原稿余白のメモ書きに至るまで全て収録するよう努められています。

直接元の史料 ( 『やまなし』の草稿用紙そのもの) を自分で確認することはできませんが、この資料が原文を可能な限り維持する形式でテキスト化しているおかげで史料の代わりとして利用できます。

大変ありがたいです。
(史料を収集・テキスト化した研究者や史料を保管していた関係者の方々に感謝)

※参照したページは随時記載していますが、『やまなし』関連の重要なページを本記事終盤に一覧形式でまとめているのでそちらを見るのが手っ取り早いです。

 

『やまなし』(発表形)

『やまなし』は「岩手毎日新聞」第七千五百八十四号、大正十二年四月八日付、第三面第五段中途〜第七段(新聞活字15字詰、一段は74行前後)に掲載され[1] 世間に公表されました。(1923年4月8日)

これが、我々が小学生の時に読んだ『やまなし』です。

※ただし、新聞に掲載された原文と現在教科書や童話集に掲載されている文には例として次のような相違点があります。

  • 現在出版されている物の多くは、現代仮名遣いへの変更や踊り字・一部の漢字の書き換えがある
    ( 「わらつたよ」→「わらったよ」  「二疋」→「二匹」など多数)
  • ルビの有無や振り方、句読点の位置
  • 誤植、活版印刷上のエラー (句読点の転倒など)

 

つまり新聞掲載原文の、現代では読みにくい表記や誤植を修正した物を我々は読んでいたことになりますが、内容としては同じなのでクラムボン含め各要素の描写自体に変わりはありません。

上述の青空文庫の『やまなし』も底本は『新編 風の又三郎』でやはり岩手毎日新聞の原文に修正を加えて読みやすくした物になっています。

 

今回のクラムボンの正体調べとは直接関係がないですが、新聞掲載原文を忠実に再現して原文のまま文字起こしした資料が『新校本宮澤賢治全集』に掲載されています。

新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇 p.47-51

 

『やまなし』(初期形)

岩手毎日新聞での発表形に用いられた原稿は現存しない一方で[2] 、なんとそれより前の形態の下書き稿が一種現存しています。

下書き原稿の写真は『新校本宮澤賢治全集』に収録されていませんでしたが、Web でそのうち1枚目の画像が見つかったので以下にリンクを張っておきます。

リンク:『やまなし』下書き原稿 1枚目

↑リンク先投稿に3枚ある画像のうちの2枚目です。

 

用紙は和半紙4枚、それぞれ片面が使用され、特に一行の字数を定めずに鉛筆で書き下された下書きで[3]、画像の通り取り消し線で文の一部が削られていたり語句が後から追記されたりなど手入れの跡も含めて残っています。

校正されていない部分も発表形とは異なる文になっている箇所があり、『やまなし』の成立過程が伺い知れる貴重な史料です。

(初期形と発表形の具体的な差異は後述。)

 

この手入れ結果 (草稿最終形態) が『やまなし〔初期形〕』 として『新校本宮澤賢治全集』に収録されています。

新校本宮澤賢治全集 第十巻 本文篇 p.5-9

 

書籍が参照できない場合は、代わりに Web で公開されている初期原稿テキストをご参照ください。

リンク:『やまなし』(初期形)

 

現物を確認できていませんが、下書き原稿をカラースキャンした画像が以下の書籍に掲載されているようです。

メルカリの商品画像を確認したら、4枚ある下書き原稿の全てがカラースキャンされ収録されていました。(画像リンク)

 

全ての校正過程は『新校本宮澤賢治全集』の校異篇に収録されているので、そちらを参照して以下クラムボンの記述に関する相違点を記載します。

 

『やまなし』初期形におけるクラムボン描写の相違点

参照資料

『新校本宮澤賢治全集』には下書き原稿の手入れ結果(草稿最終形態) が『やまなし〔初期形〕』 として、岩手毎日新聞での発表形にルビ付けや句点位置などの明らかな誤りの修正を加えた校正文が『やまなし』として2つに分かれて収録されています。

『新校本宮澤賢治全集』は本文篇と校異篇の別冊構成になっており、文の最終形態が本文篇に、原稿への手入れ内容や草稿と発表版との差異が校異篇に収録されています。

参照したのは次の箇所です。

『やまなし〔初期形〕』
・新校本宮澤賢治全集 第十巻 本文篇 p.5-9
・新校本宮澤賢治全集 第十巻 校異篇 p.5-7, 234

 

『やまなし』
・新校本宮澤賢治全集 第十二巻 本文篇 p.125-130
・新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇 p.43-51, 252-253

 

比較時には便宜上以下の3段階に分けて記載していますが、下書稿の文に手入れが無く初期形と同一の場合は下書稿は省略しています。

  • (下書稿):下書き原稿に残っているそのままの地の文 (※必要応じて手入れ内容も記載)
  • (初期形):下書き原稿にある宮沢賢治による手入れを一通り実施した結果 (新校本宮澤賢治全集 第十巻)
  • (発表形):世間に公表された発表形 (新校本宮澤賢治全集 第十二巻)

※以下、比較の際ルビは省略しています。
※初期形では拗音・促音が小書きになっている一方で発表形では小書きになっていませんがその差異については特に一つ一つ取り上げません。
※本ページが横書きなので、原文の踊り字「〱」は仮名に直して記載しています。

文章だけだと分かりにくいと思うので、適宜上述の『やまなし』下書き原稿 1枚目の画像をご参照ください。

取り上げた描写

クラムボンに対する直接的な描写のほか、水中の環境や蟹の子供について初期形と発表形で描写に違いが見られる場合はそれも記載しています。

ただし列挙した相違点は一部に過ぎません。(作品全体には多数の相違点がある)

 

クラムボンは立ちあがってわらったよ。

「一、五月」の場面冒頭の二疋の蟹の子供の会話場面で、クラムボンについての会話描写が一部異なります。

(初期形):「クラムボンは立ちあがってわらったよ。」
(発表形):「クラムボンは跳てわらつたよ。」

 

初期形の当該文には特に訂正の跡は無いですが、発表形では「立ちあがって」の箇所が「跳て」に変わっています。

この変更に関して草稿用紙に何も情報が残っていない以上変更の理由は不明ですが、少なくとも当初クラムボンは「立ちあが」るような存在だったことが分かります。

 

水中から見た周りの色や明るさについての描写

水中から周りの物がどのように見えるか把握するうえで重要な色や明るさの描写についても差異がありました。

 

『やまなし』冒頭
(下書稿: 手入れで丸々削除):水は青じろく遠くや横の上の方は青ぐろく見えます。二疋の蟹の子供らがぶつぶつぶつぶつ話してゐます。

(下書稿):二疋の蟹の子供らがその浅い淵の底の青じろい水の底で話してゐました。
(初期形):二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話してゐました。
(発表形):二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

まず原稿冒頭で水の明るさについての描写がありますが、取り消し線で丸々消されています。

「遠くの方は青ぐろく見えます」という地の文の記載に手入れで "や横の上" が追記され「遠くや横の上の方は青ぐろく見えます」に校正された跡がありますが、結局それらまとめて取り消し線で消されています。

その直後に書き直しと思われる「二疋の蟹の子供らがその浅い淵の底の青じろい水の底で話してゐました。」があり、「その浅い淵の底の」が取り消し線で消され、発表形でも手入れ後の形になっています。

※「その淵の底の」に手入れで "浅い" が追記され「その浅い淵の底の」に校正された跡があるが、その上から取り消し線が引かれている形。

 

ただしこれらの水の描写は最初の会話直後にも似た形で記述があり、そちらは下書稿と発表形で同じ形で残っているため水中描写自体に大きな差異は無いようです。

最初の会話直後
(初期形):上の方や横の方は青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井をつぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
(発表形):上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。

 

全体で見ると下書稿にあった「遠く」「青ぐろく」「その浅い淵の底の」の描写が無くなっているのと、蟹の子供らが「ぶつぶつぶつぶつ」と話す描写が消えているくらいです。

 

「かぷかぷ」の挿入

2回目の会話パートの2文目。

(下書稿):「クラムボンはわらかぷかぷわらったよ。」
(初期形):「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
(発表形):「クラムボンはかぷかぷわらつたよ。」

原稿では「クラムボンはわら とまで書いた直後に わら に取り消し線を引き、改めて かぷかぷわらったよ。」 と書いています。

 

蟹の子供らが吐いた泡についての描写

2回目の会話パート後に蟹の子供らが吐いた泡についての描写。

(下書稿:地の文):それは青白く光って斜めに上の方へのぼって行きます。
(下書稿:校正 ):それはくるくるゆれながら青白く光って斜めに上の方へのぼって行きます。
(初期形):それはゆれながら青白く光って斜めに上の方へのぼって行きます。
(発表形):それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行きました

 

まず地の文に「くるくるゆれながら」が挿入され、その後「くるくる」は取り消し線で消されています。

原稿で手入れはこれで以上ですが、発表形では「青白く光って」が「水銀のやうに」に変わっています。

 

クラムボンが死ぬ直前の描写

「クラムボンは死んだよ。」の直前。

(下書稿):つうと銀いろの腹をひるがへして一疋の魚が頭の上をすぎて行きました。一疋の子供の蟹はその片っ方の四本
(初期形):つうと銀いろの腹をひるがへして一疋の魚が頭の上をすぎて行きました。
(発表形):つうと銀いろの腹をひるがへして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。

 

魚が頭上を過ぎた描写の後に、原稿では「一疋の子供の蟹はその片っ方の四本」と書きかけて取り消し線で消した跡が残っています。
(※「本」の字は書きかけ)

何を書こうとしていたのでしょうか…?

後に出てくる文で「その右側の四本の脚の中の二本を」という記載もあるので「その片っ方の四本」というのは蟹の脚だとみて間違いないと思いますが、その脚で何をするつもりだったのでしょうか?

 

死んでしまったよ → 死んでしまったよ………

(初期形):「クラムボンは死んでしまったよ。」
(発表形):「クラムボンは死んでしまつたよ………。」

発表形では三点リーダーが追加。

 

クラムボンが再び笑う直前の描写

(下書稿):魚がまたツウと戻って来ました
(初期形):魚がまたツウと戻って下流の方へ行きました
(発表形):魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。

 

原稿では「来ました」が取り消し線で消され、そこに「下流の方へ」が挿入され文末に「行きました。」が追加されています。

単に魚が戻って来るのと、戻って来た魚が (子蟹たちの上を通過して) 下流の方へ行くのとでは状況が異なりますね。

原稿の地の文だと、別に魚が通過して下流の方まで行かずともクラムボンはわらう描写になっています。

 

魚再来の描写~会話

このあたりは初期形と発表形で大きな差異があります。

 

(下書稿):魚がこんどはそこら中の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分はまばゆく白く光って又上流の方へのぼりました。
(初期形):魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分はまばゆく白く光って又上流の方へのぼりました。
(発表形):魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流の方へのぼりました。

魚の光り方に関して描写が異なります。

 

(初期形):「いゝねえ。暖かだねえ。」「いゝねえ。」
(発表形):(※会話削除)

初期形では「お魚はなぜあゝ行ったり来たりするの。」の会話の前にこの2行の会話がありました。

発表形では丸々削除されています。

 

(下書稿):「お魚はなぜあゝ行ったり来たりするんだらう。」
(初期形):「お魚はなぜあゝ行ったり来たりするんだらう。」
(発表形):「お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。」

この質問会話以降、初期系と発表形で記載が大きく異なります。

 

(下書稿)
「お魚は早いねえ。」
その魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて水にだけ流されてやって来たのです。その影は黒く砂の上しづかに砂の上をすべりました。
(初期形)
「お魚は早いねえ。」
その魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて水にだけ流されてやって来たのです。その影は黒くしづかに砂の上をすべりました。
(発表形)
弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。
「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。」
「とつてるの。」
「うん。」
そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

 

原稿では「お魚はなぜあゝ行つたり来たりするんだらう。」の後、特に疑問に答えること無く「お魚は早いねえ。」という会話が続きます。

発表形では大きく変わり、兄の蟹が「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。」と答える記述に変わっています。

上流から戻って来た魚についての描写も表現が異なります。

 

以降も随所で記載が異なりますが直接クラムボンに言及した文はこの後には無く、それ以外の相違点については列挙しきれないのでここで区切ります。

相違点の確認は『新校本宮澤賢治全集』を参照するか、先述の Webサイト (初期形 / 発表形) をご参照ください。

 

その他に参照した資料

『新校本宮澤賢治全集』:索引

『新校本宮澤賢治全集』には「別巻 補遺・索引 索引篇」があり、全集の中で主要語句がどの巻に掲載されているか調べることができます。

(もちろん全ての語句が全ての箇所で網羅されている訳ではないですが、一応参照しました。)

 

語句「クラムボン」については『やまなし』以外の作品や手帳・ノートなどへのページ参照はありませんでした。

(もし収録されているメモ書きなどのどこかに存在したとしても、この全集をまとめ上げた研究者全員が気づかない場所に書かれているということになるので探し出すのは至難の業になると思います。)

主要語句索引

クラムボン → ⑩ 5, 6 ⑫ 125, 126
(クラム/くらむ/ボン/ぼん → 項目無し)

※丸囲み数字は巻数(本文篇)、その後の数字はページ数です。

手帳・ノート・メモ・雑纂における重要語句索引

(クラムボン → 項目無し)

(クラム/くらむ/ボン/ぼん → 項目無し)

※見た目が似た語句「クーラム」「Crimson」があったので念のため確認しましたが特にクラムボンと関係は無かったです。
(さすがにクリムゾンとクラムボンは離れすぎですが)

書籍『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』

書籍リンク:杉浦静『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』 - 文化資源社

『新校本宮澤賢治全集』の編纂委員の一人である宮沢賢治研究者の杉浦静さんが、編纂過程で草稿や原稿を全て調査した知見をまとめた書籍です。

2023年10月25日に発売されたばかりで最新の研究成果が含まれているようなので確認してみました。

さすがに本の主題と離れているので、『やまなし』に関する記載があるページからクラムボンについて情報は得られませんでした。

 

『やまなし』関連の参照ページ一覧表

今回調べるにあたって参照したページを一覧でまとめています。(凡例も含めて)

新校本宮澤賢治全集 第十巻 本文篇

ページの内容 ページ
凡例 viii~xvi
注 (※本文中の〔 〕表記について) 4
やまなし〔初期形〕 5-9

新校本宮澤賢治全集 第十巻 校異篇

ページの内容 ページ
凡例 viii~xi
やまなし〔初期形〕 5-7
校訂一覧 232-233:校訂の全体説明
234:やまなし

新校本宮澤賢治全集 第十二巻 本文篇

ページの内容 ページ
やまなし 125-130

新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇

ページの内容 ページ
やまなし 43-51
校訂一覧 246-247:校訂の全体説明
252-253:やまなし

 

未参照資料

そもそも宮沢賢治の作中の表現や描写について詳しい情報を得たいのであれば『やまなし』に限らず他の作品や宮沢賢治の残したメモ・ノートなど今よりもずっと広い範囲の資料に目を通し宮沢賢治の生い立ちや作品の変遷についても深く理解する必要があるのですが、ふとした疑問でこれについて調べ始めたばかりの自分は当然ながら全くそこまでたどり着けないので、ここでは一旦『新校本宮澤賢治全集』に限定してまだ参照していない箇所を列挙します。

ざっと見ただけで中身を一つ一つ確認できていないので、この中にクラムボンや『やまなし』の表現に関する記載が本当に一つも無いのかは不明です。

  • 新校本宮澤賢治全集 第十三巻 上
    ↑宮沢賢治の手帳全ページ (写真版とともに掲出)
  • 新校本宮澤賢治全集 第十三巻 下
    ↑宮沢賢治の現存ノート類や各種草稿中のメモ類 (写真版とともに掲出)
  • 新校本宮澤賢治全集 第十四巻
    ↑雑纂
  • 新校本宮澤賢治全集 第十五巻
    ↑書簡
  • 新校本宮澤賢治全集 第十六巻 上
    ↑補遺・資料・草稿 (※童話草稿に『やまなし』は見当たりませんでした)
  • 新校本宮澤賢治全集 第十六巻 下
    ↑補遺・本文訂正・年譜 (※『やまなし』に関して本文訂正はありませんでした)
  • 新校本宮澤賢治全集 別巻 補遺・索引
    ↑(※補遺については一応一通り目を通して『やまなし』関連の資料は無さそうだと確認)

もちろんこれらに限らず、賢治全集に未収録の近年発見された史料や全国各地で保管されているその他の史料についても一切確認できていません。
(そもそも『やまなし』の下書稿の原本や岩手毎日新聞での発表当時の新聞記事が現在どこで保管されいるのかも把握していません…)

 

 

「イサド」や「やまなし」の表記についてメモ

※以下については手元に冊子が無い状態でのメモなので青空文庫から本文を抜粋しています。(賢治全集の中の表記と部分的に異なるかも)

 

イサド

『やまなし』本文中でお父さんの蟹の

「もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。」

というセリフで出てくる謎地名「イサド」については、主要語句索引で調べた限り他作品で「伊佐戸」という漢字表記で同じ読みの地名が出てきた限りでした。
(これ自体は既知の有名な事実)

作品『種山ヶ原』

リンク:『種山ヶ原』宮沢賢治 - 青空文庫

新校本宮澤賢治全集 第八巻 本文篇 p.102, 103, 105(※), 107

※「いさど」のルビ付き

 

4箇所で地名への言及あり。

  • 「伊佐戸の町の、電気工夫の童ぁ、山男に手足ぃ縛らへてたふうだ。」といつか誰かの話した語が、はっきり耳に聞えて来ます。
  • 橙色の月が、来た方の山からしづかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでゐます。
  • 「伊佐戸やあちこちです。」
  • 「伊佐戸の町の電気工夫のむすこぁ、ふら、ふら、ふら、ふら、ふら、」とどこかで云ってゐます。

 

作品『風の又三郎』

リンク:『風の又三郎』宮沢賢治 - 青空文庫

新校本宮澤賢治全集 第十一巻 本文篇 p.192

 

1箇所で地名への言及あり。

  • 「伊佐戸の町の、電気工夫の童あ、山男に手足いしばらえてたふだ。」といつかだれかの話した言葉が、はっきり耳に聞こえて来ます。

※『種山ヶ原』が『風の又三郎』の先駆形らしく、この地名の言及文は『種山ヶ原』の文と一致しています。

 

やまなし

『やまなし』でやまなしが登場するシーンは二章の「十二月」ですが、原稿では章名が「十一月」になっています。

 

ちゃんと確認できていませんが果実としての「やまなし」の語は『やまなし』以外の作品でもいくつか見られるようです。

主要語句索引に載っていたページ数と、軽く確認した時のメモ書き(雑)を列挙。

山男の四月

リンク:『山男の四月』宮沢賢治 - 青空文庫

新校本宮澤賢治全集 第十二巻 本文篇 p.55

 

1箇所で言及あり。

  • 山男は仰向けになって、碧いああおい空をながめました。お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのよう、かれくさのいいにおいがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしているのでした。

お日さまをやまなしになぞらえた表現になっています。

黄金 (きん) という色表現は『やまなし』と『山男の四月』で共通しています。

 

なお、新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇 p.19 によると、『山男の四月』には先駆形を示す清書後手入稿一種が現存しており、上記の文も草稿最終形態と童話集収録形で差異があるようです。

(初期形):お日さまは、まことにあかるく、かれくさはかんばしく、すぐうしろの山脈では、雪がぱっと後光を出しました。
(収録形):お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう、かれくさのいゝにほひがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしてゐるのでした。

※新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇 p.19-20 より。

 

詩集『春と修羅』の『第四梯形』

リンク:『春と修羅』宮沢賢治 - 青空文庫

↑『第四梯形』はページ下部にあるのでページ検索で飛んでください。

新校本宮澤賢治全集 第二巻 本文篇 p.206, 415

 

1箇所で言及あり。(周辺箇所含めて抜粋)

七つ森の第四伯林青スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに

やまなしの匂いへの言及が『やまなし』と『第四梯形』で共通しています。

 

作品『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』

リンク:『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』宮沢賢治 - 青空文庫

新校本宮澤賢治全集 第十巻 本文篇 p.81

 

1箇所で言及あり。

  • 山梨のような赤い眼をきょろきょろさせながら、じっと立っているのでした。

赤い眼といえば、『やまなし』ではお父さんの蟹が子供の蟹に「そいつの眼が赤かつたかい。」と問うセリフがありますね。

ただしそれはやまなしではなくかはせみのシーンでしたが。

 

注釈

[1][2][3] 新校本宮澤賢治全集 第十二巻 校異篇 p.43

宮沢賢治『やまなし』 ~クラムボンの正体を求めて~  ・発表形とは異なる文の初期版原稿が現存 ・発表形には無い台詞 「クラムボンは立ち上がってわらったよ。」 ・クラムボンが死ぬ直前に子蟹がとった 行動の書きかけの描写
記事化前の最新情報はこちらで先にツイートしています。サイト更新告知もこちら。