読みが「っ」になるかどうか問題
発端
欲求は よっきゅう なのに、
肉球は にくきゅう なの、にゃんで❓— パジョカ (Pajoca) (@Pajoca_) February 6, 2021
欲求の読みは「よっきゅう」である一方、肉球の読みは「にくきゅう」です。
欲は(よく)、肉は(にく) でどちらも「く」で終わり、熟語の後の読みも「きゅう」なのに読みが「っ」に変化しているのは欲求だけで、肉球は変化していません。
※ちなみに 欲(ヨク)も肉(ニク)も音読み。肉の訓読みは(しし)。いのししの「しし」も肉。→猪(い) の 肉(しし)
他の「○っきゅう・○くきゅう」と読む熟語を集めてみて様子を見てみます。
単語一覧表
あ~わまでの全音で、○っきゅう/○くきゅう で検索をかけてWeb辞書に言葉があるか確認しました。
※1文字目は全て、単独での音読みが「○ク」の漢字です。
熟語 | 読み | 備考 |
育休 | いくきゅう | |
学級 | がっきゅう | |
学究 | がっきゅう | |
学窮 | がっきゅう | |
楽弓 | がっきゅう | |
鞠躬 | きっきゅう | 「きくきゅう」とも読む[1] [2] |
黒球 | こっきゅう | |
哭泣 | こっきゅう | |
国舅 | こっきゅう | |
即急 | そっきゅう | |
速球 | そっきゅう | |
卓球 | たっきゅう | |
特急 | とっきゅう | |
特級 | とっきゅう | |
肉球 | にくきゅう | |
白球 | はっきゅう | |
薄給 | はっきゅう | |
白及 | びゃくきゅう | 「びゃっきゅう」とも読む[3] [4] |
復旧 | ふっきゅう | |
復仇 | ふっきゅう | |
欲求 | よっきゅう | |
落球 | らっきゅう | |
六宮 | りっきゅう | 「りくきゅう」「ろくきゅう」とも読む[5] |
六級 | ろっきゅう |
漏れがあるかもしれませんが、今回の列挙はここまで。
太字赤マーカーの3単語(いくきゅう・にくきゅう・びゃくきゅう)は「○くきゅう」パターンですが、それ以外の単語はみな「○っきゅう」パターンでした。
<参考情報>
[1]"鞠躬". 精選版 日本国語大辞典. https://kotobank.jp/word/鞠躬-241623 (2021-02-07閲覧)
↑「キッキュウ」の読みのみ掲載
[2]"鞠躬". 漢字ペディア. https://www.kanjipedia.jp/kotoba/0001328800 (2021-02-07閲覧)
↑「キッキュウ」の他に「キクキュウ」の読みも掲載
↑「ビャクキュウ」の読みのみ掲載
[4]"シラン". 日本薬学会. https://www.pharm.or.jp/flowers/post_33.html (2021-02-07閲覧)
↑「ビャッキュウ」の読みのみ掲載 [5]"六宮". デジタル大辞泉. https://dictionary.goo.ne.jp/word/六宮/#jn-231196 (2021-02-07閲覧)
↑「リッキュウ」の他に「リクキュウ」「ロクキュウ」の読みも掲載
「っ」化 (促音化)が起きた理由
熟語の読みで「く」の後ろに「き」などのか行の音が続く場合に「く」が「っ」(促音) になるこの現象は「促音化」と呼ばれています。
例) 欲求 (よくきゅう→) よっきゅう 直感 (ちょくかん→) ちょっかん 復帰 (ふくき→) ふっき
表では「~くきゅう→~っきゅう」のパターンのみ取り上げましたが、それに限らずクの後ろにカ行が続く場合は多くの言葉が促音化しています。
促音化が起きる理由として考えられるのは発音のしやすさです。
カ行の音が連続すると発音しにくいですが、前の「く」を促音「っ」に変えるととても読みやすくなります。
(そもそも、ちゃんと発音せず早口で読もうとすると「く」の音が自然に脱落して「っ」化する)
そのため日本語の長い使用歴史の中で、多くの読みにくい「ク+カ行」の語で自然に促音化が発生したと考えられます。
実際に、欲求の歴史的仮名遣いは〔ヨクキウ〕で[6]、昔はク音で発音されていたものが現代では促音化した発音で話されていることが分かります。
※現代仮名遣い(ヨッキュウ)に改める前から促音化は生じていたと思いますが、その出典となる資料を自分が見つけられませんでした。
他の促音化している語を調べても、(元々前半の漢字が「○ク」という読みであるから当たり前かもしれませんが) 歴史的仮名遣い上ではどれもク音で発音されていたものが現在では促音化した発音で話されているパターンでした。
<参考情報>
[6]"欲求". デジタル大辞泉. https://dictionary.goo.ne.jp/word/欲求/#jn-227934 (2021-02-07閲覧)
↑亀甲括弧〔〕の中のカナが歴史的仮名遣いです。←凡例の「歴史的仮名遣い」の欄より
促音化していない例外がある理由
そうなると不思議なのは、読みにくいにもかかわらず促音化していない例外が存在することです。
改めて例外の 育休(イクキュウ)・肉球(ニクキュウ)・白及(ビャクキュウ) について見ていきます。
新しい語は促音化しにくい?
育休は育児休暇の略で、最近新しく使われるようになった言葉です。
肉球もどうやら広く使われるようになったのは最近のようです。
確かな情報とは言えませんが、以前はいくつかの辞書に「肉球」が収録されていなかったみたいです。
↑リンク①/(リンク切れ用):2004年時点で、広辞苑・大辞泉・goo国語辞典に「肉球」の語が掲載されていないと情報
また調べたところ肉球は俗称で、正式名称は蹠球(ショキュウ)とのこと。
(ちなみに全く出典確認できてませんが、肉球という言葉が広く一般に普及するきっかけになったのは、いがらしみきおさんが作品「ぼのぼの」で肉球の語を使用したこととの情報もあります(真偽不明))
促音化が発音のしづらさにより長い時間をかけて徐々に起きたものであるなら、最近になって使われるようになった語ではまだ促音化が進んでいないと考えることができるかもしれません。
(もしかしたら将来的にこれらの語も促音化するかも…?)
あまり使わない言葉は促音化した形に統一されにくい?
白及(ビャクキュウ・ビャッキュウ) は最近できた言葉ではなさそうですが、そもそもこの言葉を日常で使用することはまずありません。
※ビャクキュウは生薬の名前。シランという花の偽球茎を日干ししてできる生薬で、止血・消腫・皮膚および粘膜の保護作用をもつとのこと。
話される頻度が多くなければ、そもそも「ッ」に変化した発音だけに収束しないのかもしれません。
他にも鞠躬(キッキュウ・キクキュウ)や六宮(リッキュウ・リクキュウ)でどちらの読みも見られますが、やはりいずれも使用機会は皆無です。
使われない言葉(の一部)は促音化した発音に一本化されず、現代でも発音ゆれ(表記ゆれ)が残ったままになっているのかもしれません。
発音が被るせいで促音化を避けている?
※Twitterにてtoyoさんが指摘してくださった内容
肉球をもし「ニッキュウ」と発音すると、使用頻度の高い語「日給」と発音が被ります。
育休も同様に「イッキュウ」と発音すると、「一級」と被ります。
発音が被っており別の意味に捉えられてしまいかねないので、確かに肉球や育休はきちんと「ク」を残して発音する気になります。
特に「イッキュウをとった」「イクキュウをとった」は混同の危険性大ですね。
また育休はそもそも育児休暇の略であり、促音化したら元々の語がなおさら想起されにくくなるため促音化に抵抗があります。
日本語話者がこれらの抵抗を感じる限り、これからも促音化することは無いかもしれません…。(残念にゃ😿 by 肉球)
現在促音化しつつある言葉の例
上の表で上げた言葉たちはすでに促音化したものか、現在促音化の兆しが無いものか、どちらの発音もみられるものでした。
現代(21世紀前半)の今まさに促音化が進行している例を観察できればヒントが得られるかもしれません。
そのような語の候補に、例えば「洗濯機」があります。
洗濯機(センタクキ)を「センタッキ」と発音する人はNHK放送文化研究所がウェブアンケートをとったところ、回答者846人のうち53%が「センタッキ」と読むと回答したそうです。
(53%:「せんたくき」と書き「センタッキ」と読む51% + 「せんたっき」と書き「センタッキ」と読む2%)
(残り48%:「せんたくき」と書き「センタクキ」と読む) ※四捨五入の関係で合計100%超過
洗濯機という言葉ができて半世紀以上経過していますが、現在では発音が半々に分かれるほど促音化しています。
(※促音化割合の経時的推移が不明なため、厳密には促音化が進んでいるとまでは言えないですが)
洗濯機という語を見ると確かに数百年も前からある言葉よりは新しいですが、使用され始めてから数十年以上は経過していることに加えて使用頻度も非常に高く、「センタッキ」と発音しても別の語と混同する恐れがないことから促音化が進行していておかしくないかもしれません。
同様に旅客機(りょかくき・りょかっき)も促音化の進行例かもしれません。
(こちらの語には表記ゆれが見られます)
促音化についての資料
促音化についてNHK放送文化研究所のメディア研究部が以下のページで解説しています。
そこでは促音化が起こらない理由として、言葉の前の部分の「独立性」が挙げられています。(上記記事参照)
肉球、白及には当てはまらなそうですが、「~くきゅう」シリーズ以外の他の促音化については要因の一つになっているのかもしれませんね。
数百例の促音化例・非促音化例についてまとめて分類した資料(論文)がありました。
非常に詳しく分類・考察されているので必要な方は参照して下さい。
リンク:漢字音の促音化について
促音化含めた発音のゆれについて文化庁の第7期国語審議会から部会報告がありました。
多くの語について促音化の有無にゆれがあり、個人差・職業差・環境差が大きいと述べられています。
リンク:発音のゆれについて(部会報告)
(感謝の言葉)
謝辞
私のテキトーな思いつきツイートに対して有益な情報を提供してくださった ミニリュウ文鳥𓅪さんとtoyoさんに心から感謝いたします。
感想
これだけ推測に推測を重ねましたが、結局厳密な根拠に基づいたものではないため真相は不明です…。
誰かこれについて研究されている方いらっしゃらないかな??
このような言葉の成り立ちについて厳密に調べるのは難しいですが、推測の過程でいろいろと新しい言葉の知識が増えたのでそれは良かったです。
余談
唐突にこの問題について気になったのは、ねこ画像を見て「肉球欲求」という語を思いつき、その読み「にくきゅうよっきゅう」にふと疑問を感じたため。